「もったいない」の本質

 

 

せっかくのカシミアのガーディガン、

見るも無残な虫食いです。

 

 

特に袖口が酷かったので、リフォームショップでリブの部分を切り、

折り返して貰うことにしました。

その他の点々とある穴は、刺繍糸でかがりました。

 

正直、ここまで手とお金をかけて直すかどうかの判断

苦しいものがありますが、今回は明確な理由があります。

 

 

帰省した際に私の着替えを探していて、母の衣類のカオスにびっくり。

外出が減り、クタクタの服で過ごしている母。

あちこちのタンスには、状態の良いステキなものもたくさんあるのです。

 

「状態の良いものを、もっと日常に着ようよ」

 

と入れ替えたところ

(出し入れをしやすいように、とか

どこに何があるのかラベルをつけたりもしました)

 

 

「私の領域に手を出すな」

 

とお気に召さない様子。

当然、クタクタの服も「もったいない」と。

(クタクタの服も捨てないで、入れ替えただけです)

実家の片付けあるあるで、本来、母なりの基準や考えがあるため、

私の判断を押し付けてはいけません。

 

 

「でもね、このカーディガンはどういうこと?」

 

収納のカゴから落ちて、押入れの隅に丸まっていました。

 

 

「これこそ”もったいないんじゃない?」

 

 

キャパを超えるモノを持っていると、

結局モノを粗末にすることになるのです。

という証明と、母の「もったいない」心を満たすために

このリフォームを決行しました。

 

 

実家の片付けの関わり方を説いてくださっている

収納の達人もいらっしゃるようなので、双方が納得できる

方法を学んでみたいと思います。

 

 

ところで、母の衣類を見直すきっかけとなった私の着替えは、

結局見つかりませんでした…