実は着物が嫌いでした

 

 

久々にSNSでバトンが来ました。

今度は着物

ドイツで着物の仕立てに目覚め、着物デザイナーになった

恵美子さんより。
https://note.com/emikoingermany/n/n832e787f263c?fbclid=IwAR08wEc8GyT_XSRQpy9W8_76Qvb3YIl6nPxD763lQ-VpkOigOU12lTs_TF8

(ドイツの布の幅や長身に合うようを工夫して仕立てているのが

素晴らしい)

 

私が雑で面倒くさがりなところがあるのは、

両親がアプレゲール(戦後派)で、

不合理なしきたりなどを排除して、意識的に合理的な生活をしていた

ところに一因がある。

 

 

着物もその一つで、私の母は父の実家に泊まった際に、

出された浴衣の前合わせが逆だと指摘された強者である。

行事も私たちが「やりたい」と言うこと以外は殆ど無関心だった。

 

 

着物に関しては、七五三は、7歳の時だけ知り合いに着物を着せてもらって

スナップ写真を撮っただけ。

夏の浴衣は、子どもの頃はおはしょりは縫ってあるものに兵児帯だったので、

母でも着せることができたのだろう。

(前合わせは合っていたのだろうか…)

 

 

中学の頃に、スイスのサマースクールに参加することになり、

浴衣があった方が良いということで、この時はもう大人仕立てだったので

知り合いの呉服屋さんに、自分で着られるよう着方と帯の結び方を習った。

 

 

私は、その後も特に着物には関心がないというより、むしろ嫌いな方だった。

着物というと、ゴテゴテの振袖のイメージがあったからだ。

あんな悪趣味なものに大金をかけて大騒ぎすることが理解できなかった。

 

 

そんな私が着物に興味を持つことになるのだ。

それは、漫画の「はいからさんが通る」の女子学生が着る

矢羽の着物に袴、という姿だった。

振袖と違って普段着だからシンプルで、袴が無地だからか、

洋服の感覚で納得のいく装いだった。

 

 

そのような話を母にすると、

「おばあちゃん(母の母)の袴がある」

疎開先で代用教員をしていた頃、袴で教壇に立っていたとか。

しかも祖母は昔の人なので、和裁の心得はある。

と、トントン拍子で、祖母の袴を譲ってもらい、矢羽模様の着物を

仕立ててもらうことになった。

 

これが祖母の袴とお召し
お正月に娘に着せた

 

今でこそ、袴は卒業式の定番であるが、「はいからさんが通る」以前は

そのような習慣は一般的ではなかったように思う。

ネットもない時代、着付けの本を探して調べて、なんとか物理的に

袴姿が実現できた。

 

 

でも相変わらず振袖は好みではなく、成人式も地元を離れていたため

特に何もしなかった。

大学生の頃、手ぶらで通える着付け教室の広告を見て、そういうことなら、

と通い始め、少しずつ着物に関心を持つようになった頃、実家に帰省をした際に、

どういうことか呉服店の展示会を覗くことになった。

そこの女将さんと「成人式の着物は?」という話になった時に、

「私、振袖が嫌いなので作りませんでした」

と臆面もなく答えたら、

「そういう人のために」と出されたのが、とてもシンプルな染めの着物だった。

成人式が過ぎていたのに、その振袖を購入することとなった。

 

オレンジに紺の鶴模様

友人の結婚式、会社の初出勤、

自分の結婚式の前撮り、娘の成人式など、

成人式後に作った振袖だが、

充分元は取ったと思う

 

 

その後、私は新卒で着物の会社に勤めることになり、うまく着物のコーディネートが

できるようになりたい、と、カラースクールに通い始めた。

こうして振り返ると、私の原点がここにある。

 

この着物は祖母のもの。

疎開先で着物を食糧に替える生活の中で、母と叔父(母の弟)が

「これだけは」と隠しておいたものらしい。

母はよりによってチャイナドレスに仕立て替えるつもりだったとか。

よくぞ無事であったことよ。

着物会社の社員であった頃仕立て直したが、少し小さめで着る機会がなかったのを

娘に着せた。